さて別に、映画『攻殻機動隊』を素材に、私たちの心が持つ未知の階層構造の可能性について考えてみました。
→映画『攻殻機動隊』ゴーストGhost の変性意識
そして、映画で語られる「さらなる上部構造にシフトする」というセリフ(素材)をもとに、イルカ研究やアイソレーション・タンクの開発者であるジョン・C・リリー博士の探求事例を、過去2回検討してみました。
→「聖霊」の階層、あるいはメタ・プログラマー
→「聖霊」の階層その2 本質(エッセンス)の含有量
今回はその第3弾として、そのような心(意識)の階層構造の仮説として、博士の著作『意識(サイクロン)の中心』(菅靖彦訳、平河出版社)の中にある「意識の振動レベル」という階層図式について取り上げてみたいと思います。
ところで、意識の「振動レベル」とは、リリー博士が、南米の秘教的スクールであるアリカ研究所で、創設者のオスカー・イチャーソから教示されたものです。
それを、博士が自己の体験と照合して、自著の中で解説しているものとなります。このモデルは、筆者のさまざまな変性意識的体験から言っても、「多層的な意識の透過性」を表現する大変便利な仮説モデルとなっているのです。
(後に、トランスパーソナル心理学のケン・ウィルバーが唱える「意識のスペクトル」論ともほぼ同型となっています)
さて、イチャーソ自身はスーフィー系、グルジェフ系の教えをもとに、さまざまな思想をミックスさせて自分独自の訓練システムを編み出し、アリカ・システムとして60年代に展開しはじめました。
ところで、(ついでに記しておく)結果的に彼の思想の中で一番有名になり、普及したものといえば、今では性格タイプの分類体系として知られる「エニアグラム」というものでした。ただ、これは単なる性格のタイプ分けのツール(それで終わるもの)ではありません。
これは元々、イチャーソのシステムの元では、原分析(プロトアナリシス)と呼ばれており、私たちの自我(エゴ)の偏向を正すために利用するツールでした。自我(エゴ)の偏向が「性格」となって現れるというのが、その真意でした。
別の文章、「『聖霊』の階層その2」の中では、自己(セルフ)の中の本質(エッセンス)の含有率について触れました。アリカ研究所では、自己(セルフ)の中における、自我(エゴ)と本質(エッセンス)の占有率というものを重視したのでした。
つまり、自己(セルフ)の中で、自我(エゴ)の占有率が減れば減るほど、その分ノイズがなくなり、私たちの内(外)なる本質(エッセンス)が輝き出て、働くようになると考えたのです。
これは、伝統的なシャーマニズム的な見地からも、ある意味妥当だと思われます(→「聖なるパイプの喩え(メタファー) エネルギーの流動と組織化」参照)。
そのために、サトリの妨げとなっている、自我(エゴ)の歪みを正すことが、本質(エッセンス)つまり存在の肯定的状態をより得るために必要だったわけです。
そのために、個人の自我(性格)の偏向をとらえるために原分析(プロトアナリシス)ということを行なっていたわけです。
この原分析(プロトアナリシス)が、エニアグラムとして広まった理由は、リリー博士の知り合いで、同時期にアリカ研究所で訓練を受けた、(本書にも登場する)精神科医クラウディオ・ナランホ博士が、自分の元々の心理学的な性格分類研究と合わせて、エニアグラムを一部の人々に教授しはじめたことがきっかけでした。
ところで、この性格分類は、上記訓練システムの一部のものなので、教授した対象者にも決して口外しないようにと守秘義務の約定書などをとっていたようですが、受講者が勝手に流布し、結果的に爆発的にひろまってしまったので、ナランホ博士やイチャーソも状況を追認せざるえなくなったというのが実情のようです。
ところで、チリ出身のナランホ博士は、フリッツ・パールズ直弟子のゲシュタルト療法家であり、向精神性植物の研究やチベット密教、スーフィーの実践者としても知られている大変興味深い人物です。
→ナランホによるゲシュタルトの基本姿勢
◆意識の振動レベル
さて、話をもとに戻しますと、「意識の振動レベル」とは、そのオスカー・イチャーソがグルジェフ系のものとして提示している「意識の階層モデル」です。意識の高低の階層を、振動レベルの違いと呼んで「数字」で区分けしているのです。
意識の振動レベルなどというと何か大袈裟な感じがしますが(グルジェフの考えに基づいたものですが)、あまり気にせず、意識状態の質性/変性意識状態(ASC)の質性の違としてとらえておけば問題ないと思われます。
ただ、この「意識」とは、西洋近代主義や現象学で考えるような狭いエゴ的な自意識ではなく、インドでいうところの、アウェアネス awareness の果てにある「目撃者 witness 」「誰でもない見る者」も含んだ多層的なものとイメージいただければと思います。
そして、各振動レベルによる各意識状態があり、私たちは、通常の日常意識状態から移行する(重なる)形で、それら高次または低次な意識状態に移っていく(体験していく)というわけです。
言ってみれば、高次のレベルへの移行が、攻殻機動隊のセリフにあった「さらなる上部構造にシフトする」という状態であるわけです。
また当然、同時に、複数の振動レベルを持つことも可能であり(それらは透過しています)、リリー博士は、日常生活(地上生活)におけるひとつの統合状態として、そのようなものを目指して努力していくこととなります。
リリー博士はそれらの各意識状態を、イチャーソに倣って、(語りようがないからですが)象徴的・暗喩的表現を交えつつ以下のように整理しています。「振動レベル48」がニュートラルな状態で、より肯定的なプラスの状態とより否定的なマイナスの状態に、上下対称的に分かれています。
①振動レベル+3
古典的なサトリ。救世主になる。宇宙的な心との融合。神との合一。②振動レベル+6
仏陀になる。意識、エネルギー、光、愛の点―源。
透視の旅。透聴の旅。頭の心的センター。③振動レベル+12
至福状態。キリストになる。宇宙的愛。宇宙的エネルギー。
高められた身体的自覚。身体的意識と地球意識の最高の働き。
胸にある感情センター。④振動レベル+24
専門家的サトリあるいは基本的サトリのレベル。
必要なプログラムのすべてが生命コンピュータの無意識内にあり、
円滑に機能している状態。下腹部の運動センター。⑤振動レベル48
中立的な生命コンピュータの状態。新しい観念の吸収と伝達の状態。
肯定的で否定的でもない中立的な状態で、
教えることや学ぶことを最大限に促進すること。
地上。⑥振動レベル-24
否定的状態。苦痛。罪の意識。恐怖。
しなければならないことを、苦痛、罪の意識、恐怖の状態ですること。⑦振動レベル-12
極端に否定的な身体的状態。人はまだ身体内にいるが、
意識は委縮し、禁じられ、自覚は苦痛を感じるためにのみ存在する。⑧振動レベル-6
極端に否定的であるということを除けば、+6に似ている。
煉獄に似た状況で、人は意識やエネルギーの点―源にしかすぎなくなる。⑨振動レベル-3
宇宙らに遍在する他の実体に融合するという点では+3に似ているが、
それらは最悪である。自己は悪で、意味をもたない。
これは悪の典型であり、想像しうる最深部の地獄である。『意識(サイクロン)の中心』菅靖彦訳(平河出版社)
さて、リリー博士は、本の中で過去のさまざまな変性意識状態(LSD体験等)をこれらの各振動レベルでの体験として割り当てていきます。
そして、自己の探求の足取りを、各意識の振動レベルのさまざまな体験として、整理していくのです。
また、本の中では、アリカ研究所での実際のトレーニングの中で、意識の各振動レベルを上昇していく様子が、(上部構造にシフトする様子が)具体的な風景描写として描かれていくこととなります。
そして、さまざまな意識の振動レベルが、同時的に働いていく様子も実際的に細かく描かれていくこととなるのです。
その結果、本書におけるこれらの記述は、実際にさまざまな変性意識状態(ASC)を実際に体験し、それらをどう位置づけたらよいか(地図作りに)苦慮している人々にとっては、大変参考となるものになっていったのです。本書が類書を持たない、特別な本になっている理由でもあるのです。
「(意識の振動レベルの)「+12」のレベルにおいては、人は身体の中にいるが、地球上のトリップにまつわる仕事はしていない。「+12」にいるという証は、人の感じる、宇宙的愛、バラカ(神の祝福)、神の慈悲、宇宙エネルギーである。人は、この興奮を誘う特殊な喜びのエネルギー、至福、アーナンダの使者、弁(バルブ)、あるいは回路として機能する。(中略)
あたかも、私は新しい空間へと導く内部スイッチが入れられたかのようであった。このように突然、新しい空間に入りこむという飛躍があった。あらゆるものが輝き、反響し、喜びに溢れるものとなった。他の人々を、こうした美しい状態に連れていきたいと思った。大気の中に、シャンペンの泡のようにきらめくものを見た。床の上のほこりは黄金の塵のように見え、小鳥のさえずりは銀河の中心から宇宙を貫いて反響してくる声となった。私自身が「オーム」と唱える声も、同様だった。
あらゆるものが透明になった。宇宙エネルギーが私の身体に入りこみ、身体全体から他人に送られるのが見えた。私自身のオーラを見、他人のオーラを見た。なにもかも完璧だと思った。すべてのものが生きていた。すべての人々がかけがえのない存在であり、喜びに溢れていた。+6は、意識の焦点をきわめて小さな点に合わせる状態である。その点の大きさをどのくらいにするかは、当人がどこに行きたいかに応じてなされる選択の問題である。その点の中に、自分の記憶、感情、思考プロセス、これらの場所の地図、周囲で起こっていることの全体的知覚などをもちこんでいることを人は確信する。つまりは、その人の48の地図のすべてを、言語を用いずに、直接的な体験としてその点の中にもちこむのである。
通常、48や+24でもち歩いている、そして、+12において部分的に捨て去る、言語のスクリーンをここでは完全に手放すのだ。+6に到達すると、そこには、言葉、文章、構文、文法、言語、数字、量的な物差し、計算、通常の論理や思考、通常のリアリティなどは存在しない。人は、完全に、非日常的なリアリティ、非日常的な存在、非日常的な直接的知覚や体験、そして非日常的な直接的記憶の貯蔵庫に身を浸す。(中略)
一度、その点に入りこみ、その点となるや、身体に下降することも、他人の頭や身体の中に入りこむことも、地球を飛び出し、外宇宙、銀河、宇宙へと入りこんでいくことも可能となる。自分の一つの点としてのアイデンティティを保っているかぎり、どんなに遠くへ行こうとも、またどんなに深く下降しようとも、人は+6の状態の中にいる。このことが、+6を+12や+3と区別するきわめて簡単な方法であることを私は発見した。+12においては、身体はまだ存在するが、+6においては、身体は存在しないのである。+6の中では、人は、多少なりとも、依然として自己であるが、+3においては、その自己を失い、本質(エッセンス)、すなわち、宇宙的な乗り物のパイロットの一人となる。」ジョン・C・リリー 菅靖彦訳
『意識(サイクロン)の中心』(平河出版社)
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さて、以上、リリー博士による「意識の振動レベル」について概観してみましたが、博士の実体験として本の中で描いている各種の変性意識状態(拡張された意識状態)は、他の精神的探求の伝統に見られるさまざまな体系と呼応して、大変興味深い記録ともなっているのです。
そして、また、これらが具体的な方法論の描写を伴う(科学者の)実験レポートのようなニュートラルな分析になっている点が、本書を実践的にもより貴重なものにしているともいえます。
この手の体験領域を記述しているものは、前提として任意の流派的な価値観や思想をはじめから含んでいるものが多く、結果として、探求としての明晰性(中立性)に曇りや歪みが生じてしまっているものがほとんどだからです。
そして、本書での図式は、世界中の各種の変性意識状態(ASC)の事例や意識拡張的な事例を検討していくに際しても、さまざまに役立っていくものでもあるのです。
【関連】
→「サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方」
→「サイケデリック・シャーマニズムとメディスン(薬草)の効果―概論」
→「アヤワスカ―煉獄と浄化のメディスン(薬草)」
→「さまざまなメディスン(薬草)―マジック・マッシュルーム、ブフォ・アルヴァリウス(5-MeO-DMT)」
【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』および、
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。